私が締切を守れない理由。④
楽観的。現実逃避。最後には誰かが何とかしてくれると思ってしまう。
これが親から与えられたものなのだとすれば、
その正体は「過干渉」です。
子供自身が自分の人生の舵取りをすることを望まず、
子供のことを「所有物」として扱う。
私はこの「子供が親の所有物」という感覚が昔から理解できず、不思議だったため、
一度親に直接聞いてみたことがあります。
「なぜいつでも親が正しいと言い切れるのか?」と。
返ってきた答えは、「そういうものだから」でした。
子供ながらに、唖然としたのをよく覚えています。
つまりそれは、
親のほうが子供より偉い存在だと刷り込まれたまま、
思考停止しているということなのだと感じました。
私は悔しかったです。今でも悔しいです。
そんななんの意味もない思考停止のために、人生を振り回されていたのだと。
生き物というのは、あらゆるものから学びを得て成長し、
それを次の世代にも伝えていくのがあるべき姿なんじゃないかと。
子供からも学ぶことはあるんじゃないかと。
私はこのとき小学生でしたが、
小学生にすらわかるような基本的なことがわからないのか。と、
大人という存在に対して深く絶望した記憶があります。
こうして考えてみると、
毒になる親の特徴、つまり子供を所有物として扱うという心理状態の本質は
「差別」なのではないかと思いました。
人種差別と同じです。
誰かから言われたから、昔からそういうものだから、なんとなく、という
なんの説明にもならない理由で、
自分の意見を持つことなく、思考停止し、差別する。虐げる。
なにか明確な理由があればいいとは思うのです。
もともとは誰かから吹き込まれた知識であっても、自分の理念に照らし合わせて
それが自分の意見だと胸を張って言えるなら、他人をカテゴライズすることは
決して悪ではないと私は思います。
ただしそれは「区別」というニュアンスであって、「差別」ではありません。
未知に対する恐怖。
もしかしたら子供の毒になる親は、
自分の遺伝子が入っていたり、小さい頃から知っている子供が
自分の知らないことを言い出し、手を離れていく過程が怖くて仕方ない
ただの怖がり屋なのかもしれない。
発展に向かって進む気のない、臆病者なのかもしれない。
そんな風に今は思います。