飛び立つかにたま

息苦しい親子関係に折り合いをつけたい。自立した人間になるための備忘録を書きます。

私が締切を守れない理由。③

 

楽観主義と現実逃避。

 

俗に「ポリアンナ症候群」と呼ぶそうですが、

自分の中では、これを軸に考えると

これまでしてきた数々の失敗の説明が付くように感じました。

 

 

子供の頃、公園で遊んでいて、怪我をしたことがあります。

近くで遊んでいた子の投げた小さめの石が当たっただけの、

カスリ傷程度のものでした。

しかしそれを聞いた母はカンカンに怒り、

石を投げた子の家まで出向き、本人に謝罪をさせました。

 

今考えると疑問です。

子供同士のトラブルに(トラブルにすらなっていないと思いますが)、

ここまでする必要があるのでしょうか。

 

とにかく私の母は、私を可愛がります。

でもそれは、いわゆる「猫可愛がり」です。

 

将来自立し、社会で一人の大人として生きていく人間に対する「愛情」とは、

異なるもののような気がします。

 

その昔、私は高校受験に失敗しているのですが

そんなときでさえ私を責めませんでした。

高いお金を払って、塾に通わせてくれていたのに。

 

子供がどんな失敗をしても責めず、怒らず、ただかばってくれる。

これは一見すると、非常に美しい親子愛のように映るかもしれません。

しかし、非常に危険な考え方でもあります。

 

このように

自分の力で解決すべき問題、乗り越えるべき壁、

受け止めるべき失敗を親にかばわれてしまうと、

当の子供には何のダメージもないのです。

 

ダメージがないということは、経験がないということと同義です。

一人で壁を乗り越える方法が、わからなくなるのです。

そうしているといざ壁にぶつかったとき、つらい現実を見なかったことにします。

 世間からは甘ったれと評される、現実逃避人間の出来上がりです。

 

 

自分で言うのもなんですが、私はどちらかというと本来ストイックな性格です。

例えば、ダイエットすると一度決めたらわりとハードな食事制限、

毎日30分ほどの筋トレを欠かしません。

趣味でやっているイラスト制作も、

描きたいものをよりよく表現できるように、基礎的な練習をコンスタントに行います。

 

なのに、土壇場で楽観的になってしまう。土壇場で現実逃避をする。

最後には誰かが何とかしてくれると思って、思考が止まってしまう。

 

この相反する性質が昔から謎でしたが、

自分由来のものでないのなら、周り、つまり親から与えられたものなのではないかと考えるようになりました。

 

 ④へ続く

 

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