飛び立つかにたま

息苦しい親子関係に折り合いをつけたい。自立した人間になるための備忘録を書きます。

ごあいさつ

 

はじめまして。

 

しばらく前から、親との関係に関して疑問を持ち始め、

自分なりに様々なアプローチをしてきました。

過去の経験、日々気づいたこと含めて

形に残しておきたいと感じたため、ブログを開設することにしました。

 

目標は自立した社会人になること。

よろしくお願いします。

 

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◆簡易プロフィール◆

 

悩みは主に、過干渉な母方家系との関係。

幼少時に両親が離婚して以降、母と母方の祖父に育てられる。

その後出来た2人目の父親は頭に血の上りやすい性格だったため、

良い関係は築けず。

 

高校入学まで、

親というものはいま機嫌がよくても、

次いつ怒り出すかわからない発火装置だという認識で過ごす。

 

現在は母と、3人目の父親と同居中。

奇跡的にまともな感覚を持った人なので、

以前より親との関係を冷静に考えられるようになりました。

 

 

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自分の中の変化

 

昨日からブログを書き始め、

親との関係で色々と思っていたこと・感じたことを

自分なりに形に残すことをしているわけですが、

そのおかげか多少、心境に変化が出てきたので綴ってみます。

 

 

・親の足音や気配が怖くなくなった。

 

これまでは家にいるとき、親が帰ってきた際の足音や

車のドアを閉める音などがとても怖く、

度々ビクッとしていたのですが

昨日からそれがかなり緩和されました。

 

同じような境遇の方はわかると思うのですが

親の言いなりになっていた期間が長いと

何をするにも心の中に親がいる感じが拭えなくて、

たとえ親から物理的に離れた場所にいたとしても

その心の中の親に従ってしまう傾向があったのですが、

それも昨日あたりから多少緩和されています。

 

何かを自分の中で考え、決めるときに、

親の残像が現れないのです。

 

とても新鮮な感覚で驚いたと同時に、

今までどれだけ自分の思考が親に囚われていたのかを思い知らされました。

嬉しさ半分・悔しさ半分という感じです。

 

 

・思考がクリアになった。

 

昨日の記事で、

楽観的で計画を立てるのが下手、現実逃避をする癖はADHDの症状ではなく

親の過干渉が要因と書きましたが、

実は私には、もともとADHD的な症状も全く無いわけではありません。

 

病院で診断されたわけではないので

あくまでも自分でそう思っていたというだけですが、

いわゆるADHDに特徴的な症状は以前からありました。

 

ですが昨日から、それすら緩和されているのです。

今までは何かやるべきタスクを前にし、どのように進めようかを考えると

その瞬間に頭の中がボンヤリして、

適当にやればできるでしょ〜。というようにしか考えられなかったものが、

具体的な計画が頭の中にパッと浮かぶようになりました。

 

不思議です。

私は実はADHDじゃなかったのかもしれない…と思いました。

 

ちなみに私は服薬は未経験ですが、

いわゆるADHDに効くというサプリメントは端から試したことがあり、

どれもこれも効かなかったという過去があります。

 

つまり私の場合、脳の器質障害というより

後天的に与えられた要因で、ADHDのような現象が起こっていた… のかもしれません。

 

兎にも角にも、個人的にはかなり嬉しい変化でした。

自分のスキルとして上手く使いこなせるとよいのですが。

 

 

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NOTご機嫌取りマシーン

こんにちは。

本日あったことの備忘録です。

「機嫌」に関して。

 

午後6時。その時私は、日課の筋トレ中でした。

 

そこへ帰宅した母から

ポストに投函されていた不在連絡票を手渡され、

再配達の電話連絡を頼まれました。

 

特段手間のかかることでもないので普段ならやるのですが、

そのときは筋トレ真っ只中で手が離せなかったため、

 

緊急に必要な荷物ならすぐ連絡する。

自分の荷物の再配達なら自分で連絡してくれ。と言って断りました。

 

すると母は、みるみるうちに不機嫌に。

 

 

私も波風立てるのが面倒だったので、手を止めてやってしまおうかと思いましたが

途中で思い直しました。

なんで自分の予定を中断してまでご機嫌取りしないといけないのかと。

そしてやってあげる代わりに質問をしました。

 

私「なんで自分でやらないの?」

母「色々やることがあるからだよ」

 

それは私とて同じなのですが…。

 

要するに、周りの都合なんか知ったこっちゃないのですね。

特に子供の都合は。

 

自分と同じように予定や都合があったりすることが 理解できないのか、

理解しているのに都合が悪いから認めないのか。

どちらにせよ、

まともな人間同士のコミニュケーションは取れそうにないことを

改めて実感してしまいました。

 

そして2時間ほど経過した後、さらに驚くべき出来事が。

 

我が家では猫を飼っているのですが、

普段クールな子が今日は珍しく甘えてきたので可愛くて、

その様子を動画に撮ったものを母に見せました。

すると、

 

「これ、ご機嫌伺ってるんじゃない?  

 アンタ今日機嫌悪かったもんね」

 

(゚Д゚)ハァ?

 

あまりに予想外の返答に、面食らってしまいました。

というか、さっきの不在票のことをまだ言っているのか、と。

 

であれば私は、

単に自分の予定を曲げてまでやってあげる義理がない行為を断っただけです。

それを、「機嫌が悪い」とは…

空いた口が塞がりませんでした。

 

 

つまりこういう親は、

・自分の言うことを聞かない子供は「機嫌が悪い」ことになる

 (相手に都合や予定など、真っ当な理由があることは認めない)

 (自分の所有物が自分の思い通りに動かないなんておかしい、という考え)

 

・ただ可愛かろうと善意で共有したペットの動画でさえ、

 隙あらばマウントを取る道具として利用する。

 

 

こうして書いてみると、すごいですね…

暴君もいいところです。

 

本日はそんな感じでした。

 

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私が締切を守れない理由。④

 

楽観的。現実逃避。最後には誰かが何とかしてくれると思ってしまう。

 

これが親から与えられたものなのだとすれば、

その正体は「過干渉」です。

子供自身が自分の人生の舵取りをすることを望まず、

子供のことを「所有物」として扱う。

 

私はこの「子供が親の所有物」という感覚が昔から理解できず、不思議だったため、

一度親に直接聞いてみたことがあります。

「なぜいつでも親が正しいと言い切れるのか?」と。

 

返ってきた答えは、「そういうものだから」でした。

 

子供ながらに、唖然としたのをよく覚えています。

 

つまりそれは、

親のほうが子供より偉い存在だと刷り込まれたまま、

思考停止しているということなのだと感じました。

 

 

私は悔しかったです。今でも悔しいです。

そんななんの意味もない思考停止のために、人生を振り回されていたのだと。

生き物というのは、あらゆるものから学びを得て成長し、

それを次の世代にも伝えていくのがあるべき姿なんじゃないかと。

子供からも学ぶことはあるんじゃないかと。

 

私はこのとき小学生でしたが、

小学生にすらわかるような基本的なことがわからないのか。と、

大人という存在に対して深く絶望した記憶があります。

 

 

こうして考えてみると、

毒になる親の特徴、つまり子供を所有物として扱うという心理状態の本質は

「差別」なのではないかと思いました。

人種差別と同じです。

 

誰かから言われたから、昔からそういうものだから、なんとなく、という

なんの説明にもならない理由で、

自分の意見を持つことなく、思考停止し、差別する。虐げる。

 

なにか明確な理由があればいいとは思うのです。

もともとは誰かから吹き込まれた知識であっても、自分の理念に照らし合わせて

それが自分の意見だと胸を張って言えるなら、他人をカテゴライズすることは

決して悪ではないと私は思います。

 

ただしそれは「区別」というニュアンスであって、「差別」ではありません。

 

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

 

未知に対する恐怖。

 

もしかしたら子供の毒になる親は、

自分の遺伝子が入っていたり、小さい頃から知っている子供が

自分の知らないことを言い出し、手を離れていく過程が怖くて仕方ない

ただの怖がり屋なのかもしれない。

 

発展に向かって進む気のない、臆病者なのかもしれない。

 

そんな風に今は思います。

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私が締切を守れない理由。③

 

楽観主義と現実逃避。

 

俗に「ポリアンナ症候群」と呼ぶそうですが、

自分の中では、これを軸に考えると

これまでしてきた数々の失敗の説明が付くように感じました。

 

 

子供の頃、公園で遊んでいて、怪我をしたことがあります。

近くで遊んでいた子の投げた小さめの石が当たっただけの、

カスリ傷程度のものでした。

しかしそれを聞いた母はカンカンに怒り、

石を投げた子の家まで出向き、本人に謝罪をさせました。

 

今考えると疑問です。

子供同士のトラブルに(トラブルにすらなっていないと思いますが)、

ここまでする必要があるのでしょうか。

 

とにかく私の母は、私を可愛がります。

でもそれは、いわゆる「猫可愛がり」です。

 

将来自立し、社会で一人の大人として生きていく人間に対する「愛情」とは、

異なるもののような気がします。

 

その昔、私は高校受験に失敗しているのですが

そんなときでさえ私を責めませんでした。

高いお金を払って、塾に通わせてくれていたのに。

 

子供がどんな失敗をしても責めず、怒らず、ただかばってくれる。

これは一見すると、非常に美しい親子愛のように映るかもしれません。

しかし、非常に危険な考え方でもあります。

 

このように

自分の力で解決すべき問題、乗り越えるべき壁、

受け止めるべき失敗を親にかばわれてしまうと、

当の子供には何のダメージもないのです。

 

ダメージがないということは、経験がないということと同義です。

一人で壁を乗り越える方法が、わからなくなるのです。

そうしているといざ壁にぶつかったとき、つらい現実を見なかったことにします。

 世間からは甘ったれと評される、現実逃避人間の出来上がりです。

 

 

自分で言うのもなんですが、私はどちらかというと本来ストイックな性格です。

例えば、ダイエットすると一度決めたらわりとハードな食事制限、

毎日30分ほどの筋トレを欠かしません。

趣味でやっているイラスト制作も、

描きたいものをよりよく表現できるように、基礎的な練習をコンスタントに行います。

 

なのに、土壇場で楽観的になってしまう。土壇場で現実逃避をする。

最後には誰かが何とかしてくれると思って、思考が止まってしまう。

 

この相反する性質が昔から謎でしたが、

自分由来のものでないのなら、周り、つまり親から与えられたものなのではないかと考えるようになりました。

 

 ④へ続く

 

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私が締切を守れない理由。②

 

前回触れた、イベント前後の私の行動を大まかに書くとこうです。

 

~イベント2日前~

本来なら印刷所へデータの納入を終えてなければいけない頃合です。

同じイベントに参加する人々は次々と納入を終え、締切から解放されたことをSNSで報告しています。

私は依然制作に追われていました。

進捗は、この時点で全体の50%ほど。

私は特段焦ることもなく、ドラマを流しながら作業していました。

 

~イベント前日~

SNSでは大半の人が締切から解放されていましたが、

仲間内で1人、私と同じく制作が遅れている人がいました。

彼女を仮にKさんとします。

Kさんの詳しい進捗状況はわかりませんでしたが、

それにもかかわらず、私は彼女がいることで安心していました。

 

自分と同じように作業が遅れている人がいる。

もしかしたら私のほうが進みが早いかもしれない。

私の進捗の方がマシかもしれない。

 

今考えるとなんの根拠もないのですが、その時は本気でこう思っていました。

 

ですがその後、Kさんはギリギリでデータを納入したことをSNSへアップし、

無事に締切から解放されます。

とうとう、私だけが最後に残りました。

 

~イベント当日~

最後に1人残されたことでようやく焦りのようなものを覚えた私は、

当日の朝方、イベントが開始されるギリギリまで作業を続けました。

当日でも対応してくれる印刷所を土壇場で見つけ、

本当にこれが最後の砦という締切に間に合うよう、必死に作業を続けました。

途中までは。

 

締切3時間前、なんと私は、悠長にシャワーを浴びていました。

 

 

自分で書いていてもびっくりです。

この時点での進捗は60%ほど。

当然最終締め切りにも間に合うわけがなく、

イベントは参加を見送ることになりました。

 

ちなみに、前回参加したイベントでも私は大幅な締切破りをしています。

 

こうして後から冷静になって考えると

どう考えても楽観的すぎるというか、

あまりにも受け入れがたい状況に対して、現実逃避をしているように思えます。

 

私はショックでした。

楽観主義、現実逃避…

そういう観点で考えると、

これまでの人生でしてきた失敗が、すべて説明できるような気がしたのです。

 

 ③へ続く

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私が締切を守れない理由。①

 

締切を守る。時間を守る。

 

これは円滑な社会生活を営む上で、最重要と言ってもいいスキルだと思います。

ですが私は、これがいつも出来ないのです。

 

 

私は趣味で創作活動をしており、

年に何度かイベントに参加して、自作のイラストを発表しています。

 

制作したものは最終的に本の形にしてイベントに持ち込むため、

本を刷ってくれる印刷所の締切までにデータを納入するという決まりがあるのですが

これがいつもいつも守れない。

 

この出来事だけだと、

ただの不注意なのでは?

ADHDの傾向があるのでは?と思われるかもしれませんが

(私も以前までそう認識していました)

先日、そうではないことに気がつきました。

 

締切・時間。

私がこれを守れないのは、

甘やかされて育ってきたが故の、

異常な楽観主義が原因だったのです。

 

 ②へ続く

 

 

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